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現場レポート No.1632012年 春季号

ご施主様・近隣の皆様・協力会社の方々、大変お世話になっております。
現在、工事進行中現場の担当者より、皆様にご挨拶致します。

I様邸 新築工事

博多湾を望む福岡市西区に今回立地するI様邸は、当社設計の平屋建て住宅です。内部は大きな吹抜けがあり、海風が気持ち良く通るように、また室内に光を取り込めるよう窓の位置等工夫されています。
屋根には、薪ストーブの煙突が立ち洒落た外観です。
完成をお施主様も楽しみにしていらっしゃいます。

担当:水篠 洋一

国道445号活力創出基盤交付金(改築)清水トンネル工事

全長640mのトンネルを、国道445号線の五木村と八代市泉町の境目に施工中です。ここは、見渡すかぎり山・山・山で、当然近くにコンビニやネ○ン街もなく、何かと不便な事が多々ありますが、毎年秋になればたくさんの方々が紅葉を見に来られ、大変な賑わいになるそうです。
工事は2年にわたる長期間の工事となりますが、竣工後は紅葉見物の車でごった返すと思います。
工事期間中は美しい自然を満喫しながら、無事故・無災害で竣工が迎えられるよう安全第一で頑張りたいと思います。

担当:富田 鉄也
味岡・緒方・礎・岩永建設工事共同企業体

地域密着型特別養護老人ホーム向山つくし庵新築工事

熊本市本山の産業道路沿いで建設中です。
前回お世話になりました「力合つくし庵」のような、親しみやすい建物になるように、日々協力業者の皆さんと力を合わせて、工事を進めております。
5月末の竣工に向け、無事故無災害を目標に頑張ります。

担当:松本一哉、浦川孝太、下田竜輔

おまけ!『岩永組のアスリート達』
第1回熊本城マラソンに出場した社員の完走記!!

企画開発部 宮崎 政通 (みやざき まさみち)
 日頃日課として何かしら運動をしていますが、ちょうどのタイミングで熊本城マラソンが開催されるので参加を決めました。特別な決意も無く、ごく自然な流れだったように思えます。
 前日は遠足に行くつもりで、チョコレート・飴・干し梅とかをウエストポーチに入れていました。当日の事を考え、晩酌をいつもは3杯を2杯半に抑え早めに床につきました。
その夜、考えることと言えばいつもと一緒で現場の段取りばかり。クレーンの手配とか材料の手配とかetc。明日はレースとの実感は全然なし。
 当日は予想通り寒い朝でした。5時に起床・顔を洗った後冷たい水を1杯・新聞に目を通した後朝食。ご飯ときな粉餅とバナナ半分を食べトイレへ(お便りOK)フットサルのユニフォーム背番号6に着替え、本社へ車を走らせました。本社からは自転車で会場近くまで行き、そこから徒歩で二の丸広場まで。いますいます選手の群れ。ここでやっと実感が湧いてきました。手荷物預かり所ではボランティアの皆さんの温かい声援と、どこかでアクシデントが起こるかもという期待と不安の交る視線を後にスタートラインに。 スタートブロックは申告タイム順で整列です。1万人のランナーすごいです。いよいよスタートの号砲が鳴りました。少しの混雑の中わりとスムーズなスタートです。私はくまモンの被り物をしたランナーとしばらく(15Kほど)同じペースで走りました。さすがくまモンの人気は大したもので、沿道の声援を独り占めでした。私はその近くをコバンザメのように追走し、くまモンへの声援を少し分けてもらいました。しかしこのランナーあの被り物のままで15kを1時間半で走ってしまいました。その後はペースダウンをしたのでしょうが、中の人は思うにフルマラソン3時間程度の実力ではなかったのでしょうか。スタート後は気温が上がり始め、5k過ぎた後で最初の給水。その後給水は頻繁に取りました。(人間やっぱ水が命の元 ありがたやありがたや)。15k地点は川尻の商店街です。道が狭くなり、沿道の人に本当に近くで応援をもらいました。饅頭の給食もありましたが、喉を通りそうになかったので、素通り。ウナギの若松屋さんは休みなのか匂いなし、残念。途中トイレでタイムロス。仮設トイレはどこも7~8人の待ちで、ロスは仕方ありません。ここでウエストポーチの干し梅を塩分・クエン酸補給とおまじないを兼ねて口に。20kまで順調にこなし、2時間弱にて通過、この頃からぼちぼち立ち止まりストレッチをするランナーが出始めました。あと半分か。いけるかな?と思いながら25k地点から新港への直線に向かいます。向かい風が冷たく、とんでもなく長く感じました。28k地点で折り返したのですが、ここで多くのランナーが体力を消耗したことは間違いありません。折り返し後30k地点へ。よく言われる30kの壁が来ました。これから先は練習でも経験ない未知の領域です。だいたい人間の体は30k以上走ることを前提に作られていないもの、などと思いながらもだんだん脚が重くなってくるのが分かります。ここからが本番の始まりです。道の反対は25k過ぎのランナーが28k地点へ向かっています。明らかに疲労と不安の表情が伺えます。35k地点でドーナツ棒を給食で口にしました。宣伝ではありませんが、少し体が目覚めたような感じでした。しかしそれも長くは続かず、熊本西大橋の登りを脚を手で持ち上げる感じで走る感覚。途中で「宮崎さーん頑張って」の声が聞こえ、思わず見回すと、となりのベテランランナーの背中に「宮崎」の文字が、宮崎から来られたのでしょうか。そんな事が3回ほどありました。まだ1つ目の坂、この先の蓮台寺・平成・最後の二の丸の坂が地獄坂に思えてきました。35kから先はいつも見慣れた景色、少しずつ先を目指します。「マラソンは前にしか進まない競技、だから前にさえ進めば確実にゴールが見える」知り合いのトライアスリートが言ってた事をかみしめながらゴールを目指します。この頃は右ももがあと少しで攣りそうになっていました。しばらくすると左ももが。バランス良く両方にきた事は走りもバランスがいい証拠と自分を納得させ、沿道の声援を受けました。知り合いの方々の声援はすごく力になるものと言われていますが、あれはウソです。きついものはどうしてもきついです。ゴール近くではあと3k 2k 1kと表示がされ、最後の二の丸の石垣が見えてきました。さすがに歩いている人が目につきます。日ごろのトレーニングで坂の多い道を走っているので、坂は得意なのだと最後に自分を奮い立たせ、FINISH!
 その瞬間はハッと夢から覚めたような気分になりました。今までの道のりがほんの一瞬の出来事のように感じていました。42kを4時間12分 これは1kをちょうど6分で刻んだ計算です。背中の背番号6がそれを導いたのでしょうか。
 この大会で感じた事は、ランナーのほとんどは特別の人ではなく、日々仕事に追われながらも普通の生活を送っている人達で、ほんの少し自分の可能性を試してみようかと思われて参加されたのだと感じました。
 最後に大会運営関係者、ボランティアの皆様並びに沿道で応援を送って頂いた皆様、おかげで完走できたとは言いませんが、多少の心の支えになった事ははっきりとしています。ありがとうございました。

宮﨑 政通 記